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日本でも9月下旬にロードショー公開される『ブリジット・ジョーンズの日記』は、副題「きれそうなわたしの12か月」と付された英国の30歳過ぎの未婚OLを主人公にした、同じく30代未婚のジャーナリスト、ヘレン・フィールディング(注1)原作のベストセラーの同名小説(注2)の映画化作品(注3)です。
実際には僕は、この小説を読んでもいないし、映画の試写も観てはいません。しかし、ネット上の書評(注4)や映画評(注5)、それに30分もの時間を割いてWOWOWで紹介された映画紹介(注6)を見た限りの判断ですが、米国や英国で大ヒットするだけのことはあると思いました。
キャストや脚本も充実しており、都会に住む独身のOLの人たちにとっては感情移入しやすいヒロインのキャラクターやエピソード設定からして、いわゆるラブロマンス・コメディーとしては、良く仕上がった作品だと思います。ヒュー・グラント(注7)演じるハンサムでクールな既婚の上司との不倫関係で適度にエロッチクな要素を絡め、決して完全な人間ではないヒロインのコミカルなドジさ加減に、我が身に置き換えて共感し泣き笑いするOLたちの図を容易に想像することができます。(注8)
主演の女優レニー・ゼルウィガーが、主人公のイメージに合わせるために、体重を約6kgも増やし太目体型になったもかかわらず、この映画のプレミアショーの会場に、すっかり元に戻し細目になって現れた(注9)ということも話題になりました。このことで英国では、いわゆる太目論争が起こり、デーリー・メール紙のインターネット調査では太目のレニー支持(63%)が細目のレニー支持(21%)に大差を付けたそうです。(注10)
また、上司との性的関係が予想される初デートの前に、いわば‘勝負パンツ’の小さな柄付きパンティーにするか、それともお腹の膨らみを引っ込める‘補正下着’の大きなパンツにするか迷い、結局大きなパンツを履いて行って彼に受け入れられたことで、「ビッグ・パンツもセクシー?」(ミラー紙)との新聞記事が登場し、ロンドンの下着売り場には、女性たちがこの‘デカパン’を買い求めるために押しかけたということも話題になったそうです。(注11)
小説がベストセラーになった時点で、‘とってもブリジット的’という表現が流行語になり、「独りで立派に生きていける独身者」を称して原作者が‘シングルトンsigleton’と名付けたことで、そのような生き方を志向する女性たちも増えたと聞きます。(注12)
確かに、このように小説は世界23ケ国通算で500万部という大ベストセラーになり、米国の映画興行成績のランキングでは、初登場3位で、オープニング4日間の実績では、あの『タイタニック』をも抜いて1位を記録したそうです。
しかし、そもそもの、いわゆる‘とってもブリジット的なOLの思想’には、実は僕は批判的なのです。その思想を端的に表現しているのは、映画の宣伝に付けられたキャプションです。すなわち──
「ブリジット・ジョーンズ32歳、出版社勤務、独身。あと10キロ体重を減らして内面の安定をはかれば、すべての悩みは解決する…。」
これを聞いて、読者の皆さんは思い出しませんか?そうです、この考え方は、あの「OLヴィジュアル系」のそれと同様ではないですか!?すなわち、「とにかく痩せさえすれば幸せになれる」という、まさに‘痩身=幸福’という思想ですが、これが短絡的で誤った考えであることについては既に僕は論じています。(注13)
「体重を減らし、たばことお酒をひかえ、キャリアを積み、すてきな恋人をゲットする――」これがヒロインの目標なのですが、こんな一文で表現される程、彼女の考えていることは狭隘(きょうあい)です。結局、あの桜田門真恵と同様に、常に男の目を気にし男に気に入られるために、ダイエットに精を出し、そのストレスを解消するためにタバコをプカプカ吹かし、お酒をがぶ飲みし、社会的地位が高い男と結婚すれば自分の価値も高く評価されると思い込んでいるから、無理にキャリアを積もうとしてまたストレスを貯め右往左往しているという意味で、‘男’に依存することでしか生きられない‘女’の姿が透けて見えます。
もともと原作は、イギリスの新聞「インディペンデント」にコラムとして連載されたものでしたが、そもそも‘independent’(独立した)という言葉は、‘in’という否定の接頭辞と‘dependent’(依存した)という単語から構成されたものであり、「依存していない」というのが原義です。ですから熟語では‘be
dependent on〜’(〜に依存している)というのに対して、‘be independent
of〜’(〜から独立している)という表現になります。
従って、このように厳密に考えると、ダイエットや禁酒・禁煙(中毒になるとそれを‘依存症’と言います)や社会的身分や恋愛・結婚に拘泥しているという意味では、依存し、毎日日記をつけてぐだぐだと悩んでいるブリジット・ジョーンズは、大袈裟に言うと、仏教的な意味での俗世界の煩悩(注14)から解放されていない(独立していない)人間そのものであり、「独りで立派に生きていける独身者」という意味での‘シングルトン’などとは言えません。(前段落とこの段落との関連が良く解らない人がいるかも知れませんが、かまわず先に進みますので、あしからず。(^^;))
確かに映画では、俗物的な煩悩に苛(さいな)まれる自分の生活を反省し、ダイエット本や『理想の男性と結婚する35の法則』といった自己啓発本をすべてゴミ箱に捨てて、もっと肩肘張らずに自分に素直になり自由に生きようと決意はします。この時点においてこそ、彼女の‘シングルトン’としての生活が初めて始まったのだと言って良いのですが…。
しかし、この映画は小説の春夏編の半年のみが描かれおり、テレビ製作会社に転職して以後の秋冬編(注15)では、相も変わらず同じことを彼女は繰り返しています。これも‘わかっっちゃいるけど、やめられない’人間の性(さが)であり、だからこそそのような人間の悲喜劇が共感を呼ぶのでしょうが、誉められた生活とは言えませんね。
でも、お薦めの作品ではありますよ、だってバニーガール姿、可愛いんだもの。(^^;(注16)
(注1)
原作者ヘレン・フィールディング
(注2)
『ブリジット・ジョーンズの日記』春夏編
ネットでちょっと立ち読み
(注3)
DVD
映画ポスターHP
ジャパンプレミア・記者会見のビデオ・オン・ディマンド
記者会見内容
(注4)
書評「わかる、わかる! 女性シングルトンの心の中」
書評「ややブリジット・ジョーンズ的な気分」
(注5)
映画の詳しいあらすじ(これを読んだ上で映画を観に行っても、決して映画自体の魅力は薄れないと思います。)
(注6)
WOWOW放送:2001.9.2.14:30-15:00
今後の放送予定:2001.9.20.22:35-23:05
(注7)
ヒュー・グラント・インタビュー「女の子のパンツは大きいほどいい」!?
(注8)
上記(注4)を参照。
(注9)
ジャパンプレミア・ビデオ・オン・ディマンドでスリムなスタイルの彼女が見られます。
(注10)(注11)
「太め論争:太るべきか、やせるべきか 映画きっかけに議論沸騰」毎日新聞2001年07月26日
(注12)
もっとも、この増加傾向は、‘シングルトン’という消費層・サービス享受層をつくり出すことで、利益を上げようとするビジネスサイドの動機付けの影響が顕著です。
「ブリジット・ジョーンズ」 英で文字情報サービス
シングルトン・カフェ
(注13)
「OLヴィジュアル系の思想1」
「OLヴィジュアル系の思想2」
「OLヴィジュアル系の思想3」
「OLヴィジュアル系の思想4」
(注14)
ぼんのう ―なう 【煩悩】
〔仏〕 人間の身心の苦しみを生みだす精神のはたらき。肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着など。「三毒」「九十八随眠」「百八煩悩」「八万四千煩悩」などと分類され、これらを仏道の修行によって消滅させることによって悟りを開く。(大辞林第二版)
(注15)
『ブリジット・ジョーンズの日記』秋冬編
文庫版
(注16)
次の文章は、よくネットの掲示板でコピペされるものです──
ある男が、自分を愛している3人の女の中で 誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し 彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、 自分を完璧に見せるためにその金を全て使って
こう言った。 「私はあなたをとても愛しているの。だから、 あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、
車の整備用品を買って、 残らず使いきる と、こう言った。 「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は
全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。 「私はあなたをとても愛しているわ。
お金は、私が浪費をしない、 賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。
(2001.9.2初出に加筆)
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| なんつったって、ダイエットには恋愛が一番! |
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‘なんつったて、ダイエットするには恋愛が一番!’その理由(わけ)を書くんで、よーく、読んでちょ!
いわゆる‘フェミニスト’の社会学者・上野千鶴子氏は、こう述べています。
「身体像の形成というのは女の子にとっては他者が、もっとはっきりいうと、男性が与える身体像を内面化していくプロセスといえます。身体像は、自力で自己調達できません。何らかの形で社会が与えるものですけれど、女の場合はそれは非常にはっきりしていて、男性の与える価値によって決まります。」(注1)
あるダイエット雑誌の男性編集者の一人は当惑気味に、こう述べていたそうです。
「恋愛についての投稿もけっこう来ますが、みんなパターンが決まっているんですよね。彼ができた→彼のためにやせたい→ダイエットがうまくいく→とっても幸せ。男にとっちゃ、本当に彼女がやせたからって、どうってことないんですよね。自分のために努力していると聞けば、いじらしくて可愛いなと思うだろうけど。でも、恋をしてやせたいというパターンがあんまり多いでしょう。男はダイエットの手段なんですかねぇ。」(注2)
さらに編集者は続けます。
「その反対に、失恋した→過食して太った→とってもみじめ、というのも多い。一人の女として、一人の男とどんなふうにつき合ってきたのか、そういうのがぜんぜん見えてこないんですよ。本当は、つき合っていたとはいえないくらいの幼い恋愛しかしていないんじゃないか……。どうもよくわからないんです。」(注3)
このワンパターンな‘恋愛ダイエット’の他に、‘ダイエット(やせる)には失恋が一番よ!’とうそぶく女性もいます。失恋のショックのあまり食欲が減退し食べなくなるからです。このパターンも加えて、とりあえず単純な3つのパターンが、いわば‘恋愛・失恋ダイエット’だと言えるでしょう。すなわち──
(1)彼ができた→彼のためにやせたい→ダイエットがうまくいく→とっても幸せ。
(2)失恋した→過食して太った→とってもみじめ。
(3)失恋した→ショックで絶食→やせたのにみじめ。
でも、恋愛・失恋は、必ずしも‘太った/やせた’だけで生じるわけではないのに、そこらへんの人生経験が足りないと、次のようなパターンも起こり得ます。
(4)彼ができた→彼のためにやせた→でもふられた→え!?やせたのに、どうして不幸なの??→まだダイエットの努力が足りないの??ショック!!
あるいは、恋愛・失恋を、‘太った/やせた’だけで考える女性は、次のようにも考えるかも知れません。
(5)彼ができない→私が太っているからだ→ダイエットしなくっちゃ→でもやせられない→私はダメな女!みじめ〜!
(6)彼ができない→私が太っているからだ→ダイエットしなくっちゃ→やせたのに、まだできない→もっとやせなくちゃ…
(7)彼ができない→私が太っているからだ→ダイエットしなくっちゃ→彼ができた!うれしい!→後戻りしちゃいけないし、もっとやせて、もっと幸せになるぞ!…
でも、この(7)のパターンで彼ができたのは、やせたからではなく、たまたま違う要因かも知れません。でも彼女はダイエットのお陰だと考えて、ますますダイエット信奉者になるわけです。
ところで、編集者の言葉で、太っていることに対する女性の意識と男性の意識に齟齬(そご)があり,、実際には男性が「痩せろ」などと言ってもいないのに、女性が「もっと痩せたい」とダイエットに意欲を示しているという指摘は興味深いことです。次は同じ雑誌に寄せられた投稿です。
「不思議なことに今まで、ダイエットは何をやっても三日坊主の私が、彼のためにきれいになりたいなあって……(彼はそのままでも十分かわいいといってくれますが。)やっぱり彼のためにも脚も細くなりたいし、おなかもすっきりさせたい!と現在ふんとう中です。」(注4)
この雑誌の投稿に対して、‘ヨガ・セラピー’を提唱しクリニックを経営している森川那智子氏が、こうコメントしています。
「彼は今のままの彼女が好きになっているのです。だから彼はもっと親しく彼女とつき合っていきたいだけなのに、彼女のほうはやせてきれいになって、もっともっとハイな気分になりたがっています。そこが微妙にすれ違っているので、彼女は『恋もダイエットも両立するように』頑張らなくちゃいけない、と考えるようになります。」(注5)
この辺の女性心理については、ダイエットにはまり、とうとう‘ダイエット・ライター’にまでなってしまった、萩原みよこ氏の説明が参考になるでしょう。ダイエットを始める‘トリガー(引き金)’や、あるいは、いわゆる「ストレス理論」の用語で言うところの‘ストレッチャー’になったのは、‘男性の目’であったにしても、その内、手段が目的化する‘ダイエッター’の気持ちを彼女は次のように代弁しています。
「思春期の時、好きな男にブタと呼ばれたことが何よりつらくて。誰でもダイエットの原点は、そんなモテない気持ちにつきる。キレイ事じゃないんですよ。でもね、バンドやっている人と同じじゃないですか?最初はモテたい一心で始めたことでも、そのうち音楽を究めたくなるでしょ。オトメたちも男の目を意識してダイエットに励むうちに、いつのまにか向上心が芽生える。チャレンジャーになるんですよね」(注6)
‘男性の目’を気にして、女性がダイエットに励み自分の身体を形成しようとする時、その‘男性の目’は別に実体である必要はありません。実際には見られてもいないのに、女性が思い込みで、‘男性に見られている’と感じてしまう状況があれば、その‘男性の視線’は、フィクション(虚構)でもあり得るのです。「君、太ったね」という男性の言葉も、本人は単に事実を言ったに過ぎないのに、それをマイナスの評価だと考えて、必要以上に気にするのは、女性の意識に何らかの規制が働いているからだと言えるでしょう。
率先して‘自発的に’実践している行為に見える女性たちのダイエットも、実は、上野千鶴子氏も言うように、仕組まれた‘自発性’であるということは認識しておくべきなのです。
「ダイエットやエステで女性が自発的にジェンダー化された身体規範にあわせようとするとき、その『主体的』な行為のなかにこそ微視的な権力は働いている。」(注7)
まさにこの‘微視的な権力’作用が継続的にかつ至る所で働いているが故に、‘恋愛ダイエット’は効果的に継続するのです。‘恋愛ダイエット’はワンパターンの非常に単純な現象を一見、示していますが、しかし実は、この‘恋愛ダイエット’こそ、まさしく‘ダイエット’の権力的本質を端的に示すものであることを、とりあえずここで言っておくことにします。
こういう理由で、‘ダイエットには恋愛が一番だ’ってこと、わかりましたか?
(注1)
『スカートの下の劇場──ひとはどうしてパンティにこだわるのか』河出書房新社、162頁。必ずしも男性の価値観によってのみ女性の身体像が規定されるわけでないことについては、「なぜ女性は身体にこだわるのか?」を参照。他に「キューバの境界線──顕わす身体/隠す身体」も参照。
(注2)
森川那智子『みんな、やせることに失敗している』JICC出版局、33頁。「OLヴィジュアル系の思想2」他も参照。
(注3)
同上、33-34頁。
(注4)
同上、32頁。
(注5)
同上、33頁。
(注6)
萩原みよこ氏の発言『AERA』2000.7.17号P.35-39。
「ダイエットという快楽」でも引用。
(注7)
『差異の政治学』岩波書店、20頁。
この文章は、以下の文章に続けられたものです。
「『政治』の意味もまた、ウェーバー流の『支配と服従』のような可視的な権力支配から、フーコー以降見えない規範が身体を管理する微視的な政治micro-politicsへと、置き換わった。フェミニズムが『個人的なことは政治的なことである』といったとき、その政治の概念は身体にはりめぐらされた微視的な政治を意味していた。」
(2003.5.12初出)
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